自転車のチェーンにさす潤滑剤の正体は意外なものだった
物体の表面の潤滑剤はどんな状態で、どのようにして摩擦と摩耗を減らしているのか。摺動面に形成される油膜は2種類あります。物体の表面にオイルの分子が並んで吸着して形成する膜を吸着分子膜と言います。これに対し、固体表面から距離をおいて存在し、自由に流動できる膜を流体膜と言います。
電気的な引力のほうが吸着力に大きく影響します。特にチェーンのような金属の場合は。物体は動いていると電子が動くことでプラスの電荷を帯びます。それに対してマイナスの電荷を持ったものがくっつきやすくなります。電気的な極性がゼロに近いものにはファンデルワールスカが働きますが、吸着力におけるファンデルワールスカの割合は非常に小さいはずです。
潤滑の三態を知る
潤滑の状態は流体潤滑、混合潤滑、境界潤滑の3種類に大別できます。流体潤滑とは、固体間に吸着分子膜と流体膜が存在し、分厚い油膜が形成されている状態です。2つの摺動面は完全に離れており、摩耗はしません。
これが潤滑の理想形です。潤滑剤の粘度が低くなったり、荷重が大きくなったり、運動速度が小さくなった場合、油膜がだんだん薄くなり、最終的には流体膜がなくなって吸着分子膜のみになります。
この状態を境界潤滑といいます。さらに荷重が大きくなると、油膜が支えきれずに固体同士が接触することもあります。混合潤滑とは、流体潤滑と境界潤滑が摺動面に混在している状態です。
自転車のチェーンは摺動面の滑り速度が低く、しかも変速によってチェーンラインがずれて斜めになるため、油膜が確保しにくいです。よって自転車のチェーンで流体潤滑はほぼ起こらず、混合潤滑から境界潤滑になります。
チェーンとスプロケットの接触部や、ヒルクライムやスプリントなど高負荷下のチェーンの内部では、かなりの頻度で境界潤滑になっていると思います。
人力とはいえ、自転車のチェーンはかなり厳しい潤滑状態にあるということです。
自転車はフレームがたわむので、コマの内部だけではなくチェーンのサイドプレート内側とスプロケットとの接触部の状態も影響すると思います。
クルマのエンジン内部では金属同士が接しておらず完全にフロートしているといわれますが、自転車のチェーンの潤滑状態が混合潤滑と境界潤滑ということは、チェーンの内部(ピンとブッシュなど)やスプロケットとの接触部では、金属同士が接しているということです。
ということは、走っていればチェーンはもれなく摩耗するということです。
混合潤滑または境界潤滑になっているということは、摩耗が起きているということですから。30kmほど使用したトラック用のチェーンの内部に入っていたオイルや異物の量を測ったところ、2~3gもありました。
その中の2%が鉄分でした。たった0.06gとはいえ、人間の力であれほど硬い鉄が摩耗するんです。
じゃあチェーンが伸びるというのは…
摩耗によるものですね。プレート部が物理的に伸びるというよりは、ピンとブッシュの間が摩耗して減り、そのぶんチェーンが長くなるんです。ただ、これまでお話ししたのはあくまで正常な潤滑状態での話。異物が入るとガラッと変わります。
潤滑剤の正体
さて、いよいよ潤滑剤の話です。そもそも潤滑剤って何からできているんですか?
ベースオイルと添加剤からできています。使いやすくするために溶剤を入れたりすることはありますが、基本的にはベースオイルと添加剤です。
溶剤とは?
メーカーによって違うと思いますが、表面張力を下げて浸透性を上げるために用います。表面張力が下がると同じ粘度でも浸透しやすくなるので、使いやすくなるんです。また、ある成分を溶かすためにも用います。詳しくは企業秘密ですが。
ベースオイルとは?
文字どおり潤滑剤のベースとなるものです。ベースオイルにはグレードがあって、製造工程によって分類されます。一般的に数字が大きくなればなるほど高品質と思われているようですが、組み合わせ方や性質もあるので、一概にどれがいいとはいえません。使用用途によって最適なものを選ぶんです。このベースオイルに添加剤を配合して潤滑剤を作っています。
自転車用のチェーンオイルだと、ベースオイルはどんなものを使っているんですか?
グループⅡやⅢがメインですが、製品の特徴に合わせてVを使うこともありますし、いろんなものを溶かすことができる
添加剤の秘密
添加剤の目的は?
ベースオイル単体では、使用条件によってはサビが発生したり大きな摩耗が起きたりします。添加剤をベースオイルに配合することで、用途に合わせた性能を持たせることができます。
添加剤にはどんなものがあるんですか?
エンジンオイルを例に挙げると、汚れを定着させずに分散させるための清浄分散剤、オイルの酸化を防ぐ酸化防止剤、摩擦面に被膜を作り摩耗を防ぐ摩耗防止剤、粘度を変える粘度指数向上剤、低温になっても固まることを防ぐ流動点降下剤、サビを防ぐ防錆剤、泡の発生を抑える消泡剤、摩擦係数を下げる摩擦調整剤、圧力が高くなったときに凝着させずにあえて切削させてフレーキングを防ぐ極圧剤などです。
潤滑剤には何種類くらい入ってるものですか?
ものにもよりますが、7~8種類です。でも多くの潤滑剤は、添加剤メーカーが作った「パッケージ」と呼ばれる出来合いの添加剤のセットを1種類入れるだけのことが多いです。
添加剤を一つ一つ組み合わせて考えて設計してというメーカーは少ないと思います。パッケージを使ったほうが無難ですし。完全自社開発か半分委託なのかってことですよね。それは商品の成分表示を見ても分かりません。
そこは各社の企業秘密でもありますし。でもラボで潤滑剤を分析すると、どのメーカー(潤滑剤メーカーではなく、添加剤を作っているメーカーのこと)のどこのパッケージを使っているかは分かります。
では、ベースオイルと添加剤、どちらが潤滑剤の性能を決定づけているんですか?
一般的には、潤滑剤の基本的な性能を決めるのはベースオイルです。味付けとして添加剤を使っているという感じ。しかし自転車の場合は極圧状態が強い(接触部の圧力が高い)ので、添加剤の働きの影響が大きくなります。ただ、添加剤って反応性が高く、水に弱いものが多いんです。自転車は雨の中を走りますから、添加剤を大量に入れてしまうと、雨での耐久性が極端に低くなってしまうんです。
ベースオイルと添加剤の割合は?
種類にもよりますが、潤滑油だと9:1くらいが理想です。
添加剤をあまり多くすると、反応性の問題でデメリットになることもあるんです。食べ物と一緒ですね。醤油は必要だけど、入れすぎるとマズくなっちゃうでしょ。いい塩梅を外れたら一気にバランスが崩れちゃうんです。多くても2割が限界かな。
潤滑剤の価格はベースオイルと添加剤のコストで決まるんですか?
原料コストはかなり影響しますね。でも、最終的な売価の理由は、正直言ってまちまちなんです。例えば原料を混ぜる順番、温度のかけ方、その時間など、かなり凝った作り方をしています。
当然、製造コストは跳ね上がります。ベースオイルにパッケージの添加剤を混ぜるだけだったら、パッケージの原料代が多少高くても製造コストは抑えられます。なかには原料代と販売価格が大幅に違うメーカーもありますし、何とも言えないところです