スポーツでスランプや高い壁を突破するためのトレーニング
高い壁を突破するためのトレーニング
スポーツ選手といえど、一流と呼ばれるまでには、自分の前に立ちはだかる壁を一つひとつ越えていかなくてはならない。
何かのスポーツをはじめたばかりの人がぶつかる最初の壁というのは、案外簡単にクリアできるし、それに要する時間も短くてすむ。しかし、そうした壁をいくつも越えて中級者クラスになると、早々簡単にはその壁をクリアできないし、それに要する時間も長くなる。
野球を例にあげるなら、初心者がボールを単に投げるだけなら、そうむずかしくはない。しかし、球速をあげたり、精密なコントロールを身につけようとなると、初心者レベルではむずかしくなる。それを実践で使えるようにするのは、さらに大変なことだろう。
これは何もスポーツに限ったことではない。仕事などでも同じことがいえる。
ものごとに習熟してくれば、自己満足度のハードルも高くなってくるだろうし、当然要求される壁の高さもかなりなものになるはずだ。しかし、思ったとおりの成果をいつもあげられるわけではない。
心理学に学習曲線というものがある。ある一定のところまで来ると、習熟度などは頭打ちになることを表わすものだ。簡単にいえば、「スランプ」という状態だ。
スポーツでもビジネスでもかならずスランプはやってくる。スランプという壁を乗り越えたときに、自分の潜在能力が開花し、次のステージに進めるのだ。
そのためにはどのような壁であろうと、たとえその時点では努力の結果が目に見えなかろうと、決してあきらめず継続していくタフな精神力が要求されるのだ。
自分をどれだけ進化させることができるか
冬季五輪の花形競技の一つでもあるスピードスケートで、小さい身体ながら次々と記録を更新した清水宏保選手は、長野五輪で金メダルを獲得したとき、周囲の大騒ぎとは対照的にひどく冷静だったという。
彼は金メダルという一つの目標を達成してはじめて、自分がスケートを続けてきたのは、スケートという一つの競技を通して一人の人間がどれだけ進化できるかを、自ら実験台になって調べてみたいという欲求に突き動かされてきたのだと気づいた。
彼の父は胃ガンで56歳という若さで亡くなっている。彼自身も喘息をずっと抱えている。
身長も161センチしかない。遺伝的に見ても決して恵まれているとはいえない。
そんな自分でも「ここまでこれるんだ」というのを示したくて、ずっとスケートを続けてきた。彼は、自分が生きている間に、自分をどれだけ進化させられるかを生きるテーマとして掲げている。
そのために自分に対して厳しくストイックにトレーニングに取り組んでいる。ときどきあまりに激しい練習のために気絶してしまうことさえあるというからすごい。
自分との闘いとしてスケートに取り組んでいる彼にとっては、金メダルも一つの壁でしかなく、あえて人間の限界を打ち破っていくために自ら高い壁をつくり出して、それに挑戦しているともいえる。
スランプを克服するトレーニング①
実は、スランプの原因を考えてみると、最初は身体の動きのどこか一部分が狂ってしまったという簡単な理由が多い。それが、この特打ちのときに、ああでもない、こうでもないと身体のあらゆる部分の動きをいじってしまう。
すると本来はその一部分以外は正しい動きをしていたのに、それさえも狂ってしまうことになりかねない。こうなると、すべてがちぐはぐな動きになり本格的なスランプに突入してしまうのだ。
つまり、スランプがまたスランプを呼び込むという、悪循環に陥ってしまうのだ。スランプになる前から自分の対処法がある人間は、それを活用すればいいだろうし、それが特打ちなら特打ちでスランプになることはないだろう。
巨人の王選手の現役時代を知っている人ならおわかりになるだろうが、とことんスランプと対峠するというのも一つの脱出法だ。これには強靭な精神力が必要になる。
しかし、スランプから立ち直る処方箋を持っていない人は、たぶん大多数そうであろうが、一度そこから距離をおいてみるのも一つの手だ。
二つの対照的な方法をかいつまんで紹介したが、スポーツの世界でもどちらの方法を用いているかは、おそらく半々くらいの割合だろう。
さて、あなたはどちらの方法を選択するのだろうか。
スランプ地獄に陥るマイナスの発想
大きなプロジェクトに臨む場合、「むずかしい」「できない」という考え方から入るのではなく、「どうすれば成し遂げられるか」を考えればいい。
一般的に、人はものごとを簡単なのか困難なのか、あるいは大きいか小さいかでどうしても判断しがちである。しかし、実際には「できる」ことと「できない」ことのニ通りしかない。
したがって、「むずかしい」といった要素は考える必要がないのだ。
つまり、「できる」「できない」という判断基準でものごとをとらえ、シンプルに「どうすればできるか」を追求していけばいいわけである。「できない」と判断したことは、策を講じようができないのだから、考える必要はまったくない。
このようにプロジェクトを成し遂げられるかどうかは、「むずかしい」という考え方をするのではなく、そのプロジェクトが「できる」のか「できない」のかでまず判断できるかにかかっている。
「できる」と判断したなら、「やらなければならない」ことになる。「やらなければならないこと」に対しては、間髪を入れずに即実行することだ。ものごとを大小、難易度で考えると実行するのが遅れてしまうから、「できる」「できない」だけに焦点を絞り、「できる」ことの中で「やるべきこと」を実行していくのが成功への近道である。
スランプを克服するトレーニング②
やるべきことを実行していくのが成功への近道といったが、「できる」ことと「できない」ことをはっきり分け、「できる」部分があるなら、それはなぜできるのか、なぜ可能なのかを分析してみることが次に大事になってくる。
そして、「できない」部分に、その可能性を応用してみるのだ。「できない」という考え方から出発すると「できない」という常識にとらわれてしまい、挑戦することさえあきらめてしまう。それがスランプへの道を開くことになってしまうのだ。
一つのプロジェクトを成し遂げていくプロセスは自分自身との戦いであり、自分で道を切り開いていくしかない。「できない」人にはできないだけの要素があり、プロジェクトを成し遂げる人には「できる」だけの要素があるのだ。ものごとを成し遂げる人は、おそらく、「むずかしい」という考え方ではなく、「できる」と確信し、「できる」部分の可能性を最大限に掘り下げていった人に違いない。
このように、一見遠回りのようだが、いま「できる」ことを日々積み重ねていけば、かならずやビジネスマンとして大成するはずである。
スランプを克服するトレーニング③
スポーツの世界でも自分の立てた目標に到達するためには、途中でさまざまな試行錯誤や紆余曲折がある。
大きなスランプに陥ると、なかなか自分の技術的な進歩が見られず、その競技を辞めたくなることは一度や二度ではないはず。そのようなときは、選手自身も自分の技術が頭打ちになったとか、マンネリ感を感じるなどマイナスの側面が強く前面に出てしまうことになる。
しかし、こうしたスランプ状態のときは、「スランプを経験しないで真の成功は得られない」「スランプを乗り越えてこそ、ひと皮むけて本物の自分自身となり、さらなるステップアップへの道を歩める」と、考えるのがよい。
古い心理学用語にプラトー(高原現象)というものがある。何かを学ぶときに最初は右肩上がりで急速に効果があがるが、ある時点、ある水準までくると効果が目に見えて現われにくい、つまり高原の頂上のように横這い状態が続くことがある。ここであきらめてしまうと、次のステージへ進めないが、あきらめずに粘り強く努力するとまた効果が現われるというものである。
スランプとはこのプラトーの状態に似ている。何かを学んだり仕事をするときには、かならずこうした局面があることを頭に入れておけば、いざそうした場面に直面したとき、「ああいまがそのときなんだな」とジダパタせずにすみ、思い切って気分転換などがはかれる。
スランプを長引かせないためには、一度その競技から離れて心理面での休息をとってみよう。それがさらなる飛躍につながることにもなるのだ。